中城城跡の歴史【護佐丸って何した人?ペリー提督が来たって本当?】

中城城跡

中城城跡にはどんな歴史があるの?
ゆかりの人物って誰がいる?何をした人?

今回は、中城城跡の歴史について書いていきたいと思います。

6月下旬あたりに、実際に中城城跡に行ってきました。
30年くらい沖縄に住んでいますが、行ったのは今回が初めてです。

写真もたくさん撮ってきたので、バンバン貼っていきます。

中城城跡の歴史

中城城跡の歴史

中城城は、世界遺産にも指定されているかつての琉球時代のお城です。

琉球王国時代(当時の最高の築城技術で増築、中城の中心)

作られた時期は不明ですが、先中城按司(さちなかぐすくあじ)によって築城されたと言われています。

数世代に渡って、南の郭、西の郭、一の郭、二の郭を築き上げました。

一の郭

一の郭

二の郭

二の郭

そして、1440年には護佐丸が読谷の座喜味城から移ってきて、三の郭、北の郭が増築されました。

そのあとは、中城王子の居城→番所(薩摩藩による琉球侵攻後)→中城村役場(廃藩置県後)となります。

1853年には、あのペリー提督が中城城に訪れます。
その際、城壁やアーチ状の門を見てその建築技術の高さに驚いたと言われています。

戦後(県下初の公園、動物園、遊園地、世界遺産登録、廃墟)

1945年の太平洋戦争により、沖縄の文化財はほとんど消滅しました(首里城も消失してます)。

中城城跡に当時あった中城村役場も同じく消失しましたが、石積みなどは割と綺麗な状態で残りました。

※現在は、補修作業によりネットが貼られています。

そして、沖縄戦から5年後の1950年には中城城跡に公園施設が建設されます。

そこには遊技場や闘牛場、レストランがあったとのこと。
そんな時代があったんですね。

2000年には、世界遺産に登録されました。

廃墟について

中城城跡に実際に行ってみると分かるのですが、横に大きな廃墟があります。

名前は中城高原ホテルといいます。

廃墟

廃墟。中城高原ホテル

1975年の沖縄海洋博に合わせて、1970年に建設が開始されましたが、なんと開催直前に建設をしていた企業が倒産してしまいました。

更に追い討ちをかけるように、アクセス道路が文化財保護区域に指定されたため、立ち入ることができなくなりました。

40年も放置されていたのですが、2019年5月、とうとう解体作業を開始しました。

余談ですが僕が高校生の頃は、チャイナタウンと呼ばれていて心霊スポットとして有名でした。

こんな歴史があったと知って驚きです。

中城城にゆかりのある人物(護佐丸、ペリー提督)

中城城にゆかりのある人物(護佐丸、ペリー提督)

中城城を語る上で、外せない人物が2人います。

それが、護佐丸とペリー提督です。

護佐丸(尚巴志と共に琉球を統一)

護佐丸は、琉球を統一した尚巴志を大きく支えた人物です。

元々は山田城の按司だったのですが、尚巴志にその功績を認められ読谷村の座喜味城の読谷山按司となります。

しかし、その後勝連城主である阿摩和利(あまわり)を牽制するために、中城城へ移されます。

この頃の阿摩和利は勢力を伸ばしており、尚巴志も気が気ではなかったのでしょう。

そして、1458年に護佐丸は阿摩和利によって滅ぼされてしまいます。

忠魂碑

忠魂碑

実は、この事件は沖縄芸能の「組踊」の題材にもなるほど有名な話です。

天下を狙う阿摩和利は、勝連と首里の間に居座る護佐丸をよくは思っていませんでした。

 

そこで一計を図ります。

 

当時の王であった6代 尚泰久(しょうたいきゅう)に、「護佐丸が謀反を起こそうとしている」旨を伝えます。

 

もちろん、護佐丸はそんな考えなどなかったのですが、尚泰久はこの言葉を信じてしまい、阿摩和利へ護佐丸討伐を命じます。

 

阿摩和利は、王府軍の旗を掲げて中城城へ攻め入ります。

 

それを見た護佐丸は一計を図られたことを察しますが、王への忠誠心から妻子ともに自害する道を選びました。

 

嘘とはいえ、護佐丸にとって反抗することは義に反することだったのでしょう。

護佐丸カッコええ。

その後、阿摩和利は嘘がばれて王に滅ぼされたと言われています。

とまあ、ここまでが護佐丸の逸話なんですが、実は確実と言える史実はなく、それどころか阿摩和利の方が英雄伝だったという話もあります。

個人的には、護佐丸カッコええ…のまま終わりたかったのですが、実際のところはそう美談ではないのかもしれませんね。

ここはまた阿摩和利について記事を書くときに、詳しく書きたいと思います。

ペリー提督(日本本土に行く前に来琉)

ペリー提督は本土に開国要求をしに行く前に琉球に立ち寄っています。

探検することが目的とされていますが、ペリー探検隊は中城城跡にも訪れています。

ペリー提督が書いている「日本遠征記」の中には、中城城の建築技術の高さを称賛する記述があります。

「~要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築物は賞讃すべき構造のものであった。・・・非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いてないが、この工事の耐久性を損なうようにも思わなかった。~」

引用:沖縄の世界遺産 中城城跡

中城城跡を訪れた時の様子は、画家ハイネのスケッチで残されています。

こちらで確認できます。

中城城跡は当時から目立った史跡だったのでしょう。

中城城跡の住所・料金

中城城跡の住所・料金

中城城跡のアクセスや料金など。

住所

住所: 沖縄県中頭郡中城村泊1258番地
駐車場:あり(大型バス7台、乗用車約50台)

料金

  • 大人400円(団体300円)
  • 中/高校生300円(団体200円)
  • 小学生200円(団体100円)

※団体は20名以上
※小学校就学前は無料(保護者同伴に限る)

中城城跡に行った感想

中城城跡に行った感想・スタンプ

中城城跡に行った感想としては、

「広大!!」

って感じでした。
梅雨の真っただ中に行ったのに、すがすがしい気分になれましたね。

中城城跡の中でも、個人的にオススメの場所は大井戸(ウフガー)です。

大井戸

大井戸(ウフガー)の案内

大井戸の階段

大井戸(ウフガー)への階段

大井戸の前

大井戸(ウフガー)の前

とても神秘的場所でした。

また、階段を下っていくのですが、階段下から上を見上げた時の外壁は何か胸にぐっとくるものがあります。

大井戸から上を見上げた写真

大井戸から上を見上げた写真

護佐丸やペリー提督について調べる機会になったので、とてもよかったです。

今回、護佐丸について調べるにあたって阿摩和利(あまわり)のことを知りたくなったので、次は勝蓮城跡にも行ってみたいですね。

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